はてな村の鳥日記

ダイアリじゃなくてブログだけれども。

ハイリーセンシティブ

 多分、自分はHSPの気がある、というかあった。

 元ネタの外国のやつは結構、超能力っぽい所があったけれど、日本でいう"繊細な人達"にはあてはまっている所があった。

 しかし、それは昔の話。

 今の私はだいぶ緩和していると思うの。

 私はよくいるちょっと変わった子どもだった。
 ADHDの先輩に「君も何かしらの診断がつきそう」と言われるくらい(どんなだ)

 個人的にHSPっぽいエピソードは「あんたは、昔ねー、落ちたノリの欠片を 蟻! 蟻! って騒いでたわ」 別に潔癖症でもない。気にもなるけど、慣れもするの。

 昔、ディズニーのアトラクションの爆音が苦手だった。けど、段々と慣れていった、両手で耳抑えたりしなくなった。
 けど、ディズニーは苦手な物が多くなっていったかな。
 人混みはしんどいし、楽しくなければいけないような世界観に気持ちがついていけなくなってしまった。

 こういう感覚ってわかる? 気持ちが乖離するの。その場にいても、観光地にいるという、その現実味がなくて、普通の日常みたいなの。
 後になって「観光地にいたんだ」って実感するんだろうなと、現地で考えている感じ。

 まあ、わかんなかったら、楽しくないと変換してもニアリーイコールだ。

 母親は、繊細じゃない人か、それを乗り越えた人なんだと思う。それで幼い頃からよく「人の顔色を窺うな」「人に左右されるな」と言われてきた。

 治んなかったけどね!

 未だに、人の顔色を見てしまうし、人の気持ちに引きずられる。
 ネット上でもそういう面が出ていると自分では感じている。むしろ今はそれが多いに役に立ってる気がしている。

 書きながら、「こういうことを書くと怒られるだろうなあ」と思えるから。思ってても書いてしまうことあるんだけどね。

 あとは、気持ちがネガティブになるような、悲劇とか激怒とかの情報には近寄らないようになった。嘘でも本当と言い張ってても、感情が揺さぶられるのは結構しんどい。
 なのに、小説や漫画は好きなのは、はっきりと作り物だとわかっているからかも知れない。

 対面すると、どこか変な人間だと思われる自信があるが、文字上のコミュニケーションでもHSPっぽいというのは滲み出ている気がする。

 少なくとも私はなんとなくわかってしまう、自分と似ている人って。

 やっぱり好きなモチーフとか色遣いとかも自分の好みと似ていたりして。共感するものも似ていたりする。
 ただ、そこまで。
 そういう人とはわかり合えても仲良くはならないし、そもそもお互い距離を縮めない。

 それはハリネズミのジレンマに似ていて、傷付きやすいとお互い知ってるから…………と言えば格好いいんだけど、実際のところは、疲れちゃうんだよね、人間と接していると。

 どうやって乗り越えてきたか、よくわからない。
 けど、傷付きにくくはなった。それは、図太くなったのか、それとも単純に傷付く機会が減ったのか。

 学生時代の方がつらかったねえ。
 大人は、逃げられるから。環境を選べるし、作れる。苦手な人間や考え方の違う人と距離を取ることだって出来る。
 学生時代は、自由が利かないこと、いちいち誰かに監視されていること、理不尽なこと多いもんね。全員で叱られることも度々あるし。

 そういえば、こんなことも言われたことがあった。

「クラス全員を叱ると、関係ないあなたが一番反省しちゃう」

 中学か高校の頃、先生に言われたの。
 全然そんなつもりなかったけどね! ずっと俯いてたけど、内心、早く終わんねーかなーって思ってたよ!

 中高一貫校だったので、6年間、一部同じ先生が関わってたの。その先生はよく気にしてくれていた。「人の目を見て話さないと変な人と思われる」とかもいわれたなあ。
 人の目が怖かったの。今も怖いけど。対面よりも並んで座る車の方が話しやすいのもそのせいかも知れない。

 クラスで叱られる空気って独特だよね。

 物音一つ立てちゃいけない、全体が無になる、あの感じ。
 怒ってる方ってどんな気持ちなんだろうね。私だったら困りそう。落とし所に。

 チャイムが鳴って終わる時のあの全員の気が緩む救われた感じも。

 今思うと懐かしいけど、絶対あの頃に帰りたいとは思わない。

 最後に、HSPとどう接したら良い? ってことなんだけど、個人的には、放っておいて欲しい、んだよね。「こういう人なんだな」と。その性格変えなさいとか言われても困る。きっと、今更変わらない。
 繊細でいてもええやん。
 非繊細さんでもええように。

 苦手な物事はそれぞれあって、そんなん得意な人に任せといたらええねん。
 コミュ症がわざわざコミュニケーション強者に挑むこともない。野球だってサッカーだって政治だって色んな修理だって教育だって将棋だって法律相談だって手術だって、プロに任せるやろ。

 子どもや周りの人がHSPっぽくても悲観せずにいてくれるといいよね。別にHSPは不幸ではない。ちょっとしたことが気になるだけ。心配しやすかったり、気になりやすいだけ。
 気になってることを受け止めた上で、「大丈夫だよ」って言って欲しい。

 「大丈夫」って言葉、私は大好き。色々悩んでも考えてしまっても「大丈夫」って言葉だけで安心できたりする。

 自分とは違う世界見れるかもくらいの気持ちでいて欲しいかも、他のいろんな属性と同じように。

 逆に気にされ過ぎても、気をつかわれてるのって、わかってしまうから……。

 やっぱ生きにくいね!

 けど、それを俯瞰で見るとちょっとおかしくなっちゃう、そんなんがHSPなんです。

 まあ、自己診断なんでほんとかは知らんけど。

haikuの日

 あ、と朝、気付いてしまった。

 今日は8月19日って聞いて、haikuの日だ、と。

 今まで特に気にもしたことなかったのにな……。

 終わってから気付いてしまう、その存在感の大きさに。

 

 ハイカーさんたちは今はどこにいるんだろう。ツイッターでハートつけたり、外部のサイトでマウスで絵を描いたりする時、たまに思い出す……。

相棒が死んだ日

 パソコンがね、今月の初め頃、起動しなくなっちゃったの。

 思えば、ここに引っ越してきた時に買ってもらったものだった。

 と思ったんだけど、正確には、数年して何かが故障してやっぱり起動しなくなって修理に出して、中身は同じ別な子が来たんだったか。

 それも含めて10年程付き合ってもらった子だった。
 その前は実家の家族と共有のパソコン。XP
 更にその前は実家のノート型パソコン。98かな?

 壊れちゃったあの子はWindows8だったかな。
 初めて、自分だけ使う自分のパソコンだった。

 壊れてすぐパソコン屋に持っていって、古いですねーと言われて、もう、修理できないことを聞かされた。
 その時は、だろうなーと思ってた。自分も新しいのを買うつもりで行ったものね。

 けど、データだけでも見られるかもしれないということで預けてその日は帰った。

 なんやかんやあって、別な店で新しいパソコンを手に入れて、バックアップはなんかノートン大先生がとっといてくれてて、必要な情報はほとんどあって…………そしたら、あれ? 向こうのデータいらないや、ってなった。

 で、今日、電話でパソコン屋に「処分しておいてください」って言ったら、「身分証明証の確認が必要です」といわれ、店に行ったのだった。

 それで、店員さんに「ハードの破壊をする」と言われて、少し、はっとした。
 自分の意思で壊すんだ、と。
 自分の意思で、自分の都合で、殺す決断をしなければならないのだ、と。
 10年来の相棒を…… 自分の人生の何分の一かを……。

 まだ、いけたか? 手を尽くせば再び同じ道を歩めたか? と聞けばそれは無理だった。もう起動しないし。

 実は、故障する何日か前から怪しい気配はあったんだ。急にブルースクリーンになってしまうとか。真っ暗になっちゃうとか。そろそろかな、なんて覚悟もしていた。

 そうだ。決定的な瞬間は、8月の初めの日曜日。それが、最後日の前日だった。
 パソコンでABEMAで7.2見てたの。番組の終盤、歌の頃、急にパソコンが真っ暗になって落ちてしまった。
 しょうがないから続きはケータイで見てたのだった。

 その後、次の日の朝、一度は起動したような気がする。

 そして、ブルースクリーンになって、その画面のまま、いつまで経っても、終了せず…… 電源から消したんだったかな?
 それが、普通に起動した最後だった。

 色々試してはみた。コード全部抜いたり。ケータイでググってみたり。
 起動しようとしても明らかにおかしくて、表示がちらついてたり、セーフモードでも起動できなかったり、同じ画面がいつまでもずーっと続いてしまったり。

 で、結局、いつもの画面に辿りつくことはなかった。

 今、もう既にあの子の位置は、新しい子がいて、私の生活もその子と歩み始めている。

 その前だったら、迷ってしまったのかな。

 ハードを破壊するのに同意して、数分くらいで、ちょっとひしゃけたハードの姿を見ながら、どこか呆気なさを感じていた。
 その瞬間、頭によぎったのは、人生で何度か経験した焼き場の光景だった。

 と感傷的になっても、結局、一行で終わる話よ。

 『パソコンが壊れたので買い換えて古い方は処分しました。』

 と。

 でも、何だろう、この罪悪感は……。

 新しいパソコンは起動も早いし、色々出来る、賢い、形もスタイリッシュ。
 でも、ほんの少し、ちょっと慣れない所に、前の子を思いだしてる。

 もう明日には完全に忘れてしまうかも知れない。

 パソコンに、VAIOのゆにこんに、ずっと支えてくれてありがとうを、10年間お疲れさまを、それから、ゆっくり休んでね。

 今年は、社会面もスポーツ面も、国内外もどこもかしこも大荒れだけれども、芸能ニュースもすごい年だねえ……

 長瀬くんもやっぱり前々から退所するのではないか、という話は週刊誌にも出ていたね。
 でも、また新しい形の退所の仕方。長瀬くんは退所するけど、他の3人は新しい会社を作って社内独立。TOKIOは残すという、TOKIOらしい選択で個人的には良い印象を感じた。

 やっぱり、手越くんもNEWSを抜けたことは無念だっただろうし、SMAPも、あんな形で終わってしまったことを、それぞれが後悔していた。

 それと比べると、個人的には、TOKIOは終わらない! という強いメッセージが見えた気がするの。
 例えば、山口くんも、ジャニーズ事務所には戻ることは、大勢の後輩たちのことを考えると難しいのかもしれない。
 けれど、ロンブーや極楽とんぼみたいな形で復帰することは叶うかもしれない。
 なんて、夢を見てしまう。

 退所、お別れ、悲しいことも多いけど、その分、新しいことが始まる意味もある。
 どうなるかはもちろん全くわからない。
 SMAPの時もそうだったな。元に戻ればいいのに! 全てがうまくいっていたあの時のように! と祈るように願うようにそんなことを考えていた。
 3年前? 4年前だっけ? 新しい地図という名前も受け入れがたかったし、SMAPも禁句のように思えてしまった。

 元には戻らない。

 その事実を否定したくて、3人を見ても他の2人のことを考えていたりもした。

 でも、新しい地図の3人が活き活きしているその姿、あの表情を見ていて、まさに新しい地図を広げるように、新しい場所に行って、色んな活動をしていて、3人のそれぞれの新しい顔を見るようになって、ようやくSMAPは過去になった。SMAPは偉大で格好よくてスタイリッシュで……
 でも、それはそれとして、それぞれの新しい面を楽しめるようになった。
 
 そして、新しくスタートする人達も応援したいと思ったの。思えたの。
 退所する時、批判する人も多いし、懸念する声も多かったりする。
 みんな、それぞれ違う形の決断だけど、やはり、悩み、苦しみ、いっぱいあるだろう。不安もたくさんあるだろう。
 でも、同じくらい、楽しみも希望も多いんだと思う。

 誰もが新しい道をゆける、んだと思うの、生きている限り。

 TOKIOもまた、その歩む道に幸多からんことを。

 岡村さんはまあ……気の毒が一番な気持ちかなあ。

 単純に、宣伝活動に利用されただけの話ですにゃ。
 不快なら聞かなきゃいいし、嫌いならチャンネルだって変えりゃいい。
 にも、関わらず、「この人はおかしなこと言ってます」って言って、わざわざ広めたい人に見っかってしまった。
 そして、諸悪の権現のように表現されてしまった。
 ああいう系の人たちは、毎日不快な言動をする人を探し出して、上手に敵に仕立て上げて、毎日攻撃して過ごしているのだ。
 
 その元となった迂闊な言動はもちろんいけないのだろうし、芸人さんとして、言葉で表現する人として、ミスった部分はある気がする。
 
 けれど、別に、彼がかわいい子を風俗に落としてやる、ってやる訳ではない。
 もし、この話に悪い存在を求めるんだとしたら、その状況が悪いんであって、彼女らを助けようとするんなら、そっちを解決すべきなのだろう。
 その解決法として、彼を叩くことは本当に正しいのだろうか。

 精々、キモっ、で終わる話を、フラストレーションが溜まってるから、もっともっと悪く見せてしまった。

 タレントさんが善人であったり、正しい人間である必要があるとは思わないし、芸人さんなら尚更さうなんじゃない?
 更に、芸人さんの深夜ラジオなんて、人間のある意味屑い部分を、自分もそうだなって思ったり、自分よりはマシだわとか思いながら聞くものな気がする。

 今の状況、明らかな、悪い人や悪い存在が欲しいんだろうなって思うの。
 大きいものなら国とか組織とか。一生懸命偏向的な情報出して、敵のように見せようとしてくるけれど、でも、そいつら潰せば、全世界のウイルスがどかーん!って消えるんかい? アニメみたいに。

 小さいものなら、自粛しない人とか、薬局さんやコンビニとかで、変な行動する人たちとか。
 みんなで同じ行動をしようとすれば、はみ出てしまう人って絶対に出て来てしまうんだよね。
 わざとそうする人ばっかりではなく、認知に問題がある人たちとか。そもそも必要な情報を得られていなかったりするかもしれない。
 そのはみ出た人たちを攻撃しても、あんまり意味はなくて、むしろ、固執してしまうかもしれない、自分を正当化するために。

 そんなこと考えたりして、疲れる毎日……

 あなた、正しいって言われたいだけなのね。
 この正しい間違ってるがあっちこっち入り混じっていて、別に、自分がやりたくてやってた訳でもないことをやるだけで間違ってるって言われる状況で、きっと、誰もが、あなたのその考えや行動は間違っては居ないという確証がほしいのね。
 
 もう、ただただ、きゃわいい猫画像見てきゃわいいするだけの日々を過ごしたい。

 どこそこに人がいっぱい!

 ってみんな言いたがるけど、あなたもその一人でしょと。

 休めよって言いたがるけど、食品、医療、生活必需品、インフラ、当然、現場の人だけでは成り立たず、支える人がいてこそ回るものでさー。
 こんな中、頑張って出勤してる彼等がそれでないとどうしてわかるのか。

 なんて思っても、他人の批判をする程、出来た人間でもないわけで。
 
 せめて、自分はこういう時はありがとうって言える人でありたいと思うのよ。

 不安やイライラも溜まるけど、誰かを叩くべきではない。
 どうせ叩くなら手を叩こう。

 今働いている人はみんな働きものですごい!
 今休めてる人はみんな守れてえらい!
 今自宅でお仕事してる人は臨機応変できて素晴らしい!