はてな村の鳥日記

ダイアリじゃなくてブログだけれども。

 マスクを配布かあ。

 マスクの件に関しては、全国民に、とか、子どもに、も必要なのはわかるけど、それよりも、医療関係者とかそういう必要な人に回してほしいなあ。

 そもそも、外出ないで! と言ってるんだから、マスク必要なのですか? マスクないから行動控えてる人もいると思う。そこにマスクだと、マスクして外に出ろよ!という、外出を促す行動にも見えて、ちょっと矛盾感じる。

 情報出してみて、その反応を見てるのかなあ。

 企業のお偉いさんみたいな、盲目感がある。
 リフレッシュするために、社員を集めてパーティー開こう! 的な。その金、社員の人数で割って配布した方がどれだけ、リフレッシュできるか、的な。
 現場の長〈施設長とか店長とか〉だと、まだ現状見えてて、階層が上がっていくにつれて、どんどん、必要なことが見えなくなっちゃうんだろうなと。逆に不要なものが見えるのだろう。

 我々でも、きっと同じような変な判断を下してしまうのだろう、大勢いる社長さんの如く。

 最終的に、

 いっぱい〈微妙な〉案出した! が、国民の賛成を得られなかった! 無事危機は去りました! よって、今回は何もしません!

 を言いそう! うわー、ちょー言いそう!

 で、頭だけ「責任とっりまーす!」って変えときゃ溜飲下がるだろ的な的な。

 さすがに精神的なダメージが大きいな……。

 

 根拠のない自信とか、宛もないただの希望とかを、ぶち壊してくるね……。

 

 元々、アクティブではない人間なので、この直前のように、みんな色んな所に行ってるのね なんてのんきな気分でいた。

 不要不急の外出を避けるなんて、私には日常だし。人ごみもあんまり好きじゃない。

 

 ネガティブな情報も溢れていて、本当につらい。

 誰々がこういう行動をしたのはおかしいとか、こうしなかったのはダメだ、みたいな。

 でも、やってしまったこと、起こってしまったことなら、みんなそれぞれご事情がお有りだったのでしょうと想像するしかないじゃない。責めても褒めても無視しても過去は変わらない。

 やる人はやるし、やらない人はやらない。

 

 今は渦の中。色々試行錯誤するしかなくて。悪い言い方をするならば、失敗してしまった人を見て、自分は生き残ろうと各自努力するしかない。津波の時もそうだったけど、今もきっと「てんでんこ」なのだ。

 

 こういうわーっとする感じが苦手で、情報を精査できずに、次から次へと流れてくるのが更に苦しい……。外国ではさー、こんなバカな人がいてさー なんて、クソみたいな話が流れてくるけど、バカ知ってどうすんだよ。言ってるお前それ以下だぞと。言いたくても言ってどうなるもんでもない。

 知るなら”正しいこと”と”して良かったこと”ではなかろうか。

 

 今、自分に出来るなんて本当に少ない。家で大人しくしてる、ネットでも大人しくしてる。これくらいだ。

 ちゃんとうがい手洗いしてる、人ごみにいかない、大人しくできてる、ちゃんとできてる自分偉い。

 大人しくできてるなら、みんな偉い。

 色んな予定を苦渋の決断で取りやめたり、先延ばしにしたりしてる人たちみんなみんな頑張ってる。

 

 志村さんの話も1ツイートで心がグサっと来る。それを何ツイートも見た時のダメージは、苦しくてさ……。もちろん、想いを吐き出すのは個人として正しい行動。届く相手のことを私は考えてしまう。

 

 そんなわけで、辺境にやってきたのだ……。

 

 志村さんに限らず、亡くなった方々は、さぞかし無念であって、さぞかし心残りも多かったことだろうと、考えるとつらいばっかりです……。

 会いたかった人、お会いしたかった人、いっぱいいっぱいいたことでしょう。お話ししたかったこと、聞きたかったことも山程あったでしょう。

 病気、ウィルスって本当に怖いですね……。

 

 でもきっと、いつか終息すると思います。

 先が見えなくて、閉塞感で不安になってしまって、絶望的な気分にもなってしまうけど、絶対に終わるぞ、終わらせるぞと、努力している人がいる限り、終わるのだと思う。

 乗り切って、五輪を見よう。お花見もしよう。

 それまでみんなで乗り切ろう。生き抜こう。

SMAPが終わる日

 「今回が一番話しやすかった」

 と、3月の7.2で香取さんが言っていた。本音トークのゲストが加藤浩次さんで、加藤さんの側も話しにくいこと全部話してくれて、だからかなとその時は思っていたの。
 だけど、番組終わって、ヤフニュとか見てて、後から考えてみると、こういうことかもと思ったの。

 「SMAPの騒動が本当の意味で終結したから」なのかもと。
 どのくらい意図したものかはわからないけれど、中居さんが「円満退社」することで、また会見でそのような姿を「演じてみせた」ことで、事務所内の戦いは終結したのかもしれない。
 本当は、違ったとしても。

 ああ、書きたい……。軸がブレるけど……。あのあと、ちょっと賛否両論のあった「ジャニーさんの遺骨」の意味とかを。なぜ、あの場に遺骨がなければいけなかったのかと。
 『円満』を疑われる可能性は十分に有り得たんだよね……。
 実際はそんなことなかったんだけど(なぜなら記者も円満ごっこを共演する関係になったからで…………)よし、しっかり書こう。

 中居さんの会見は何だったのか、なぜあんなに和やかだったのか。
 答えは、記者も共演していたから。

 会見というと、記者が鋭い質問や厳しい追及をしがちである。質問者に不利だったり、逆に、相対するものへの不満だったり、衝撃的な発言を取りたがる。
 それに対して、中居さんの場合は、ある意味、のっかっていた。ほとんど想定内の話だったのだろうと。記者もまた想定外の質問をあまりしなかったように思う。
 それは、他所でも書いたことではあるんだけど、中居さんからの「そういう演技をしませんか?」と無言で提案を記者たちが受け入れた結果なのだと思う。中居さんは、前説でも、テレビで使われそうな絵をいっぱい提供して、そういう会見なんだという雰囲気をつくっていった。
 実は、その提案は記者にとっても渡りに船で……。なぜなら、ジャニーズ怒らせるのは怖かったから。だから、絶対に高視聴率が望めるにも関わらず、どの媒体も中継もできなかったわけだし。
 ジャニーズに対する批判とか、そういう質問したくなかったし、しても、どうせ載せられないって思ってた。
 そこで、中居さんからお互いつらいよね、だったら、こういうのやってみません? っていうのが、あの中居劇場だったんだと思う。
 
 そこで語られなかったことの方が実はすごく面白いと思うの。

 それで遺骨の話ですよ。
 確か、感謝している人の話で、ジャニーさんとのエピソードから始まったんだったと思う。
 遺骨は「滝沢くんに頼んで持ってきてもらった」と言っていた。「かっぱらって」という言い方をしていたが、実際は、焼き場からひょいって持ってきたわけではないと思う。知ってると思うけど、あちちだからね。実際のところは、完全な私の創造だけども、後日、お骨を壺に入れたあととかに、「分けていただけませんか」ってお話をタッキーがご遺族にしたのではないかと想像している。

 つまるところ、ジャニーさんへの想いはもちろんあって、中居さんとタッキーは無茶っぽいお願いをできる仲で、実際、叶えてくれる仲、ってことだ。
 そして、遺骨を準備していたということは当然その話は準備していたものであるはず。

 じゃあね、たとえば、実際のブツなしで、その話を語られたとしよう。
 本当に信じられただろうかと。実はタッキーと仲悪くないですって話を。
 じゃあ、なんでやめるんだろうってことになるよね。やっぱり仲悪かったんじゃない? って。それが変な形になれば、タッキーの今後の動き方にも影響が出てしまうかもしれない。

 タッキーとは話をしたし、出来る仲。東山くんとは電話した。城島くんごめーん! 忘れてた! その返事は、「あれは演技ですよ」良純「ひどい奴ですね」城島「いや、彼はすごく気の回る人ですよ……」 元メンバーの4人には前日メールをして返事は半々、遅かったり返ってこないメンバーもいた、森くんにも送って、会見中にメールが返ってきた。

 そこが中居さんの巧妙なところで、語らないことの雄弁さよ。

 それを受けて、今回よかったね、本当に。
 あれによって、新しい地図にとって、SMAPが本当に過去になったんだと思うの。

 7.2でもたまにSMAP、とか、中居、木村、ジャニーズとか単語がちょいちょい出てくるのよ。その時、別に言葉にはしないけど、その場に一瞬ぴりっと緊張が走るの。もちろん口では全然気にしてないようなことを言っていても。空気って伝わるもんだね。
 
 それに対して、今回は、中居くんの話いっぱいしててさ。
 本当に自然に。加藤さんが3人にそれぞれに聞いた「もし今、プライベートで偶然、ばったり中居くんに遭遇したら」とか、面白かったよね。面白かったんだけど、今思うと不思議と涙が出る。
 つよぽんは「メールの話、1行くらいとか言うなよ!」って。でも会ったら言うかな? バラエティ番組なら言いそう、だけど、プライベートでは言わなそうだよね。
 ごろうちゃんは「ちょっとちょっとちょっと……」だった。しんごちゃんも言ってたけど、中居さんが、今は会わないという選択をするだろうと。それを引き止める言葉で、
 しんごちゃんは「中居くんが『うわ、マジ最悪……』って言って、その店を出て行く」と。そしてそれが経験談だと言った。前に遭遇したことがあり、後日「オレ、あの店いかねーから。」と言ったのだと。
 その後、加藤さんが、コンビでも同じ店にはぜってー行かねー 二人でも飲みに行ったりしない という話のフォローも絶妙だったんだけど……。さておき。
 
 会見で、不仲の話をしていて、「不仲なんじゃないですか。お互いがわかっていれば良いこと」と中居さんが言ったのを思い出す。それが全てなんだろうと。
 その不仲とは。
 辞書で見ると、「仲が悪い」とあるんだけど、もしかすると、そもそも「仲が良い関係を構築していなかった」のではないかと思うの。
 またちょっと違う話になるんだけど。カズレーサーは、相方安藤なつの結婚に興味がないという話をしていた。それはね、「好き嫌いの感情をつけないために、情報を知りたくない」みたいな考え方だったの。
 そういえば、中居さんもそういう人だったなって。番組とかで一緒にいて好きな人とかいますか、って時に、「嫌いな人を作りたくないから好きな人も作りたくない」という話をしていたの。
 5人、「この人とは相性良い、この人とは相性悪い」って思っちゃったらきっとつらくなっちゃうから、みんな遠ざける、そういうタイプの人なんじゃないかなと。

 元々SMAPはそういう感じだった。「プライベートとかでは一切会わない。」みたいな。
 その反面、番組とかでは「そうは言ってもお前のことちゃんと知ってるぜ」感が好きだったんだろうな。
 みんな別々の方向を見ているけど、一緒になった時は全力出して、お互い同じ方向に向かって走る、格好良さだったの。それは、仲良くなくても成立してたの。同じメンバーのアイツには絶対負けない、負けたくないという力が、また、お互いを光らせていたんだ。
 
 「会見で1%から99%のくだり2回やったのはミスったから」って言った香取さんの発言。あれさ、スマスマで「おめー言うなよ!」って中居さんが言いながら頭はたく姿とか想像した。
 「本人は嫌がると思うけど」という言葉で、想像が出てきた。

 もう、新しい地図に、もし中居さんがいたらなあ、なんて思わない。いたらいたでまた面白そうだとは思うけれど、既に3人で活動している時間があって、途中参加ってまた難しそうに思える。
 今回仲居さんが退所の話を聞いても4人で活動する姿はあまり想像しなかった。想像したのは、もし、ゲストで来たらという図だった。

 もう、5人でSMAPしている姿がもうあまり浮かばなくなっている。3人でいる姿が心地よくて。3人、一人一人があの時とは違う良さが出てきてるよね。
 ごろーちゃんの優しさとか、あの頃はわかってなかったな。先月、今田さんも言ってたけど、ごろーちゃんの良さがどんどん出てきている。中居さんとか香取さんとは、また違った、ちゃんと正解を出す人ってイメージがある。中間管理職の良さが出てきているよね。

 つよぽんはめっちゃ好きなのよ……。書きはじめると、止まんなくなるwww 大正解の返事、「わかりました、了解です」のすごさよ。聞いた時、爆笑したよねwwwww ツイッター大喜利でもそういう答えあったし(まんまん満足じゃなくてよかったぁwww)でも、あれ、よく考えるとすごくてさ。中居さん内心どれだけほっとしただろうって。すぐ返す人の良さもあって……。そういう、計算とかでは絶対出すことのできない、飾らない所が本当に好きなの……。今回の7.2で、明らかにスベり待ちの所を、新人アイドルに「面白い」って全力で持ち上げられた後の照れとか(わかる? わかって!)

 しんごちゃんは当時から器用だったし、ずっと変わらないように思うけど、一時期目死んでた時を思い出すと、心の底から、本当に良かったって思うの。それを思ってからの、『新しい歌』と『Prologue』、良いよね。歌手、香取慎吾のすごさを知った。ちょっと音程取れますけど程度の私じゃ、絶対にあの歌、歌えないんだ……。……20200101はもう全部良い曲だから絶対聞いてほしいんだけど、中でも『Prologue』は本当にぐっと来たの。CMに使われてた『FUTURE WORLD』も良いし、氣志團さんのもさすが、という面白さで好きだし…… スチャダラパーさんのPVも香取さんのYoutubeで見て!(1月の7.2も見た上なら尚よし……)

www.youtube.com

『10%』はカラオケでナナナ~しか歌えなかったwww てか20200101全部むずかしぃぃぃ。『Trap』ナイスファイト。というか、本当に歌ってたんだ、って思ってより好きになった……。
 
 『72』の歌をはじめて聞いた時に、頭に浮かんでいた「他の2人がいたらどうやって歌うのかな」ってことは、いつしか考えなくなっていて、『Singing』とかの時には頭にもなかった。

 終わりを、受け入れるって本当に寂しい。いつまでも再結成を望んでいたかった気持ちもある。

 でも、終わりがあるからこそ、また、始まりがあるんだ。

 新しい地図の3人が、新しいことをして、新しい曲をうたうように、中居さんにも新しい世界が広がるのだろう。4月から巨人のユニホームきてるかもしれないしw

 もう、再結成じゃなくてもいいの。もう、元の形じゃなくていい。
 何かのチカラで、不当に活動を妨げられたり、不自然になかったことにされてしまう環境なのは、嫌だと思うの。
 でも、そうじゃなくて、それぞれが幸せに、元気な姿を見ていられればそれでいい。それはテレビでもラジオでもネットの番組でも。
 
 あと願うならば、もう一つのキーワード「木村さん」の話も自然と言えるようになって欲しい。

 そしたら、5人が再び会える日が近いと思えるから。

 まだ早いけど、中居さんお疲れ様でした。

 

 20日、速報で中居さんが退所されるというニュースを見てようやくか、という気分だった。

 これまでも度々そういう話はあって、何かあるたびに、なくても、退所されるのではという話が出ていた。他の4人に比べて、明らかに仕事をセーブされていたし。ジャニーさんが亡くなってからはそんな話が更に強くなっていた。

 

 まあその辺はともかく、あの会見は…… また歴史に残る会見の1つなんじゃないかなぁと思うの。

 山里さんの会見も素晴らしかったけど、あの「中居劇場」は…… フルで見たかったし、リアルタイムで見たかった……。それを実現できなかったことはどの媒体にとっても大きな損失だったよね……。

 

 あの日、って21日、今日なんだけど、めっちゃ探したの。14時説と16時説があってさ。結局、記者さんのツイートから16時からだと知る。けど、どこでも中継はしてなくて。Abemaなら…… って思ったけどなかったねー……。

 最終的に、情報解禁が18時半なのだと知った。

 

 その日、出かける予定あったからさ、諦めて出かけた。ポケモンゲット、ひゃっほーい。

 

 会見で、中居さんの元気そうな姿を見たのはすごく安心した。

 色々と気になったところはあった。司会を立てなかった所とか。ジャニーズ主体であるならば、事務所関係者が出てくるのだろうと想像していたの。或いは、山里さんみたいに司会を立てることもできたかもしれない。

 そのどちらでもなく、彼が回していたのは、面白かったよね。さすが中居正広と思ったし、中居正広ここにあり、という感じだった。

 

 あの決断は、遅くもなく早くもなく、2020年、その先も、きっと中居さんにとって良い未来となるよう祈ってます。

 今は、ワイドナショーが楽しみで、3人との関わりが楽しみで、それから先のSMAPが楽しみだ。

 木村さんは、1人でSMAPを守る決意をしたのかなと思ったの。批判も大きいけれど、私はそれもまた大変な決断だよねと思ったの。今月の7.2で慎吾ちゃんが2人に言っていた。「1人って大変なんだよ。グループだと、1曲でも分担していて、自分のパートが終わると待つ癖がついていた。けど、1人だと全部、休む暇ない」って。木村さんもまた別な場所でそのように感じているのだろうと。

 一見、華やかで羨ましくも見えるその場所はきっと、背負うものも大きいのだろうなと。

 

 一度離れたものって、なかなか交わることはむずかしい。個人で考えてもそうよね。卒業した学校、退社した会社、お別れした人、そういうものに再び巡り合おうとしても容易ではない。

 けれど、望み続ければきっといつか叶う日が来るかも知れない。その可能性は、彼の言うとおり、0でもなく100でもなく、1%~99%の間。応援する立場としては、そのパーセンテージを少しでも上げられれば良いなと、いつか5人で、森くんも交えた6人で、語り合う日が来ると良いし、その絵を見られれば良いなと強く思い、願う。

 

 森くんも1位おめでとうでした。

 そして、中居さん、長い間お疲れ様でした。それから会見も見事でした。これからのご活躍を楽しみにするのと共に、名称の通り のんびりと歩まれますようお祈りしております。

 きっとのんびりできない気もするけど! だって、色んな所で見たいって思っちゃうのだもの。退所してもワイドナショー出て欲しいし、7.2には絶対来て! ドラマもしようよ! 歌はともかくダンスはみたい!

 

 酔った勢いのこの思い……どこに書けばいいかわからなかったからはてなに落としていく。

 弱者淘汰論、に対するブッコメ、ポエミーになってしまったけど。

 

 言いたいことは、「未来のことなんてわからん」ってこと。

 

 恐らく、みんな最善の選択肢を選んで生きていると思うのだ。

 例えば、大きい災害時とか。

 「命を守る行動を~」ってよく聞く。でも、怪我をする人や死んでしまう人は出てきてしまう。

 もしも、「家が一番安全な場所」って思ったならば、そこから動くことは難しいだろう。

 もしも、逆に、安全な場所へ移動しようとして亡くなることもあるかもしれない。

 どっちも命を守ろうとした行動なのでは、と。

 

 そういうものなんだと思う。後から見ればあんな危険な場所で…… って思えるけど、どこでどんなことが起こるかなんて、わからない。ゴルフ場のネットが倒れるなんて想像もしない。

 

 何が起こるかわからないのに、対策なんてしようがないよね。

 どれに対しても満遍なく強く、なんて無理。

 一見強くなさそうな方法で生き残ることって生物学では結構あるみたい。それって、自分で選んだ物っていうよりは、偶発的なものなんだと思うの。

 初めて空飛んだヤツも、「生きよう」と思っただけで、ずっと空飛び続けることになるとか、子孫もほかの奴らも空飛ぶ一生になるなんて思わなかったのでは、と。

 

 「生きない方が良いのでは」って考えちゃうのが一番危険なんだと思うの。

 「私、こんな状況じゃ生きていけないよー」って思うのはともかく、「弱い奴なんて生きているべきでない、それがみんなのためだ」と思うのは、お前は何様なのだと。何をわかったつもりになっているのだと。 ありとあらゆる可能性を考えた上で言っているのかと。

 

 誰が、生き残るための鍵を持ってるかわからない。今、誰も持ってないけど、組み合わせて生まれることもあるかもしれない。

 

 どうせ、死ぬ時は死ぬんだもの。わざわざ殺さなくたって。まだ生きてるだけで、まだ絶滅してないだけ。人間は暑くても死ぬし、寒くても死ぬ。

 その日その時はいつどんな風に訪れるかは誰にもわからんよ。

 わかんないから怖いんだし。

 その恐怖はもちろんわかるけど、弱い奴のせいにしたいだけなら、「だれかのせいにしたい」自分の意思が弱いせいにしとこ。

 

 ちょっとしんみりとしてしまった。

 「彼女からの手紙を勝手に処分した毒親」の話。

 それ自体は、いろんな罵倒の言葉を連ねて、なんてひどい親なんだ! と思えてしまう。鴻上尚史さんの回答も素晴らしくて、ブッコメ見て、読む人読む人でいろんな色に変わるのもまた面白かった。

 

 まあそれはいいんだけど。

 そうなってしまった母親のことを考えたらちょっと、罵倒する言葉がなくなってしまった。

 どうして毒親って呼ばれる人が多いんだろうなって。不思議じゃない? 他人には異常な行動のように思えるのに、自分ではやっちゃうって。それって、きっと「それが正しいのだ」と思わせる要因があるんだと思うの。

 例えば、過去に、それが正しいと感じるほど「子どもの問題はあなたの問題よ!」って言われてきたのだとしたら。「あなたがちゃんとしないと」って言われ続けてきたのだとしたら。

 現にそうじゃない?

 ずんずんぎーなんてすごかったじゃん。1歳なら躾でなんとかできます! みたいなやつ。もちろん、あの人の場合は、またちょっと違う問題もあって……それはそれで今回は脇に置かせてもらって、またいつか書くことにして……。

 

 子どもに何かあればすぐに母親の問題が出てくる。あれは、小さい頃の話で…… って言いたくなるけど、それって何歳まで? どこまでが親の責任?

 子どもの頃のルールって、ずっと不思議なんだけど、こっそりと制限がなくなっていく。ずっとダメダメ言われていたことが、何も言われずに許可されてた、って感じたの。きっとまだダメなんだと思い続けていること、実はたくさんある気がする。もう大人だから、自分の責任で自分で決めていいのにね。

 

 それって子供側だけじゃなくて、親の側もそうなのだとしたら。

 もしかすると、かの手紙捨て女は「子どもの責任は子どもが結婚するまで」が自分の責任下にあると思っているのかもしれない。その先の「孫の顔みるまで」「死ぬまでずっと」かもしれないけど、少なくとも子の結婚が自分の責任問題だと感じているのは確かだろう。

 

 そんな風に「マトモな人生を送らせる」というのが、母親の役目になっているみたいに感じる。

 でも”マトモな人生”って何よ、と。

 その指針にしてるのが、頭いいっていわれる学校に入ったり、たくさんお金もらえる所に就職できたり、良い相手と結婚できたり、賢い子ども産んだり…… ということなのではないだろうか。

 頭いいから頭いい学校に入る、は、まだわかる。大学とかは何となく偏差値で決まってしまうイメージがある。そして、学生時代にきちんと勉強していたことがマトモであるならば、頭いい大学に入るのはマトモと言え……なくもない。

 でもそれ以降は別に正しくない。たくさんお金がもらえた方が、もらえないよりは良いのは確かだけど、それで心身を害したり、悪いことしちゃったりするのは、それってマトモ? って思う。

 良い相手と結婚できたり、賢い子ども産んだりも、もーそれ、運の世界だし。

 きっと、もう、親の責任はほとんど関係ないかもしれない。少なくとも、親が努力して、良い相手と結婚できる! とか 賢い子ども産める! とかは、ちょっと心配になってしまうレベルだ……。

 

 でももし、そのゴールに向かって走ってたのだとしたら……。

 

 過去のやっちったことを責められることほどつらいこともないよな……。

 きっと手紙捨て女は、その時は、手紙捨てるのがベストだと思っていたのだろう。ほら、あるじゃん。子どもの交友関係をコントロールする話。「あの子と遊んじゃダメ」とまでいわなくても、「悪い子と遊ばないように、私立に行かせます」みたいなことが、子育ての世界だと常識のように語られる。

 その延長線上にあるなら子どもの恋人との関係だって…… と彼女は思ったのかもしれない。

 それが若さへの嫉妬だったり自分が自由に生きられない鬱憤だったり、様々な自分の中の負の感情でマシマシで背中押されてしまったのかもしれない。

 

 ってことを考えるとさ。もうちょっと母親も自分のために生きられればいいのになって思うの。20代30代40代なんてすごく良い年齢じゃん。だからこそ、家事に子育て、仕事も! なんてハードなこともできちゃうんだろうけど。

 時々、お前が子どもか! と思うような批判もあるじゃない。母親なのに飲み会いくなんて とか もうお母さんなのにおしゃれがどうこうとか。その間面倒見る人いるならよくない? 子どもいない時なら別によくない?

 そんなん無視しろ っていうのは簡単だけど、言われた方ってすっごくすっごく苦しいだろうな。そして、苦しみはなかなか消えない。それで、誰かの言う”子どものために”ちょっと我慢して、自分も”子どものため”を信じ始めてしまって、そういう理不尽さが、ちょっとずつ積み重なっていく。

 

 その結果が毒親だと、つらいよな……と。受け入れられないだろうな、と。

 

 鴻上さんの回答でよく出てくるフレーズで「自分の人生を楽しみましょう」っていうの私好きなんだ……。

 

 手紙捨て女はきっと、後悔もしていると思うの。

 でも過去にやっちまったもんはもうどうしようもない。何をしても、何か言っても、手紙も戻ってこないし、彼女も返ってこない。息子のつらさも不信感もなくなるわけじゃない。

 それをわかってるから正当化したいんだろうなと。「正しかったよ」って言って欲しかったのだろうなと。あるいは、どうにか、断ち切りたかったんだろうなと……

 ずっと一人で考え続けていても、或いは、ネットでめっちゃ炎上して叩かれても、心からの自分の言葉で「あの時はごめん」にはきっとたどり着けないんだと思う。

 

 それよりも鴻上さんの言うとおり、自分の人生を生きて、いっぱいいろんな立場になって、色んな想いをして、その時にふと「あっ あの時の自分、すごくダメだった」って思う日がくるかも知れない。それを受け入れられる準備ができるかもしれない。

 あるよね、たまに。あー あの時の人、きっとこう思ったかもしれない、って自分の番になって思うことって。

 気がつかないところで、意外と自分も他人の尻尾踏みまくってる気がするの。

 こうしてる今も……。