叩く手が強すぎて
もぎけんの自毛証明の話を読んで少し腑に落ちた。
自毛証明を、ありえない許すまじ的な話をする割に、許容はしないよなーと。
「自毛で茶髪はアリだけど、黒から茶に染めるのはナシなのかなぁ」と。
それって、結局おんなじ気がする。
髪の色で判断するのは人権侵害と言いながら、でも、髪を染める権利や自由までは認める気はない。差別悪い! って怒ってくれるよりも、良い色ね って言ってもらえるだけで安心するのにね。
というのも、私も、自毛証明提出したことがあるのだ。ちょーめだつ色ではないけど、まぁ出しとけ? って言われて提出した。焦げ茶? えーと… オロナミンCの瓶みたいな色。
けど、別に差別された! とかコンプレックスを感じていない。それは、その自毛証明の時に、一緒にいた子から、自毛でしょ? 良い色だねって言われたことがあるからかもと思ってる。そっちもいい色だねって言ったら複雑そうな顔してたから、もしかしたら染めてた人かなぁと思った。実際そういう人もいただろうし。ただ、そう言ってもらって以来ほんのちょっと誇りにもなってる。
もちろん、面倒な手間を省いていただけるのはとてもありがたい。
ただ、良さを理解してくれるのも、染めてる人なのかなぁと思うのよね…。
自由でいいのよ? って言いながらやっぱり、決まったルールはあったり、求める何かがある。それを汲み取って、その通り振る舞えないと、「ああやっぱりナントカだから変な人だわー」ってこっそり決めつけられて、それが共有されてしまう。
それは目立つことなら、なんでもそうなのよね。名前とか体型とかまあなんでもだよね。理屈が通っているかどうかは関係なく。
それがどれほどの大きな影響を与えることなのだろうか。
あるいは、その違いを許容することは、一体彼らの何を破壊してしまうのだろう。
まー、自分が、いろんな場面で規格外にされがちな人間だからか、その立場から物を見がちで、被害妄想しがちなのかもしれないだけかもだけどねー。