盲信するということは悪い面を見なくすることで、叩きたくなるということは、良い面を見なくすること。
なのだろうなぁと最近気がつきはじめている。きっと裏表なんだろうなと。
そんなことない、ちゃんと悪い面も知ってる、良い面も知ってる、って思いながら「~ってことあるってことは知ってるけど」って言うんだけど、本当は、わかってはいない。それどころか、受け入れることを拒否すらしているんだと思う。
そもそも、対象を好きになってるわけでも、対象を嫌いになっているわけでもない。
その向こう側にある価値観とか象徴するものを、好きになっていたり、嫌いになっていたりするんだと思うの。
と思ったのは、週刊誌による、新しい地図VSマツコデラックスの構図に踊らされかけた時だったんだよな……。
脊髄反射的に、自分の中で、マツコデラックスに対するヘイトが高まったんだけど、あれは非常に良くなかった。本当に良くなかった。
そもそもSMAPが解散した一因も、元々は、そういった盲信と叩きたいものの構図だったのではなかったか。派閥問題という真偽の怪しい問題を繰り返し繰り返し執拗に煽り続けた結果じゃなかっただろうか。直接の理由は別なものだったとしても。
信じている心ってのは本当に操られやすいと実感したよね……。
本当に駄目だね……。そもそも、自分が応援して信じてきているものにも、迷惑をかけてしまうところだった。
一歩手前で、コメントもなにもしなかったけど、その時、もし、何かしていたら、今は、私はきっと、その時の行動をした自分を守りたいがためだけに、その補強していってしまったんだろうなと思ってる。その材料を集めたくなっちゃってたんだろうなと。
いかに、マツコが許されざる人物であるか、と。
例えば、今のN党VSマツコデラックスの構図でN党側の考えを盲目的に支持してしまったり、とかね。
どうしても、その向こうに、自分が対立する正義にも、信じてる人がいたり、応援しようとする人がいたり、それに対する敬意を忘れてしまう。
信じてるものを貶されたらやっぱり悲しい、お互いに。
あと、自分が選んだ言動が間違っていたと認めたくはない、あんまり。
個人的には、自分の現実に見たくない物が増えた時は、盲信や叩きたくなる傾向にある気がする。
せめて、せめて、好きなもののことは、好きな要素だけで心を満たして生きていきたい……。
本当は、幸せな事柄だけで人生を満たせれれば、いいのにね。