"諸問題と同じ。もし問題が起こったら、そんなの選んだお前が悪いって言われる構図、それに怯えてみんな一歩が踏み出せない。"
って、スペインで、シッターさんに頼んで楽になったという話を読んで、ブッコメに書きかけた。書き手のなぜ日本では?という問いに対して思ったことだ。
で、お前が悪いとは言えない人だけが守られる。
けど、その「お前が悪い」は、周りの人に転嫁される。
と考えて、ふと、我が子を加害者にしないためには、のお母さんたちを思い出したのよね。
そのまとめったー見た時は、「できないだろ」ってばっさり切り捨てちゃったんだ。でもよくよく考えると、そうじゃなくて、本当は不必要な「お前が悪い」に怯えていたのではないだろうかと。
悪いことしたら、悪いことした人が悪いのだ。そりゃあね。けど、それ以上に、みんな犯人探しをしたくなっちゃう。育て方が悪かった、環境が悪かった、教育が悪かった、お酒が悪かった、病気が悪かった、って結論づけたらなんだか安心できちゃう。
不可解な事件の犯人はある種の人達であって欲しいように。
けど、安易な属性批判は最終的に日本が悪い、人類が悪い、になっちゃうように、結局「お前が悪い」の犯人探しの結末は、みんな悪かった、になっちゃうのだ。
先生も悪かったし、みんなも悪かった、でこの件はおしまいね、でいいのかな。
あるいは誰かの首切れば次は起こらないの?
みんな何もしなくなるだけじゃん。
だから、もう悪いの探すのやめようぜ。って思うのに…。
日本が悪い、時代も悪い、人間悪い、みんな悪い、唯一私が善良なのだ
と信じたがる私が悪い。それでも世界は変わらない。良くも、悪くも