はてな村の鳥日記

ダイアリじゃなくてブログだけれども。

 弱者淘汰論、に対するブッコメ、ポエミーになってしまったけど。

 

 言いたいことは、「未来のことなんてわからん」ってこと。

 

 恐らく、みんな最善の選択肢を選んで生きていると思うのだ。

 例えば、大きい災害時とか。

 「命を守る行動を~」ってよく聞く。でも、怪我をする人や死んでしまう人は出てきてしまう。

 もしも、「家が一番安全な場所」って思ったならば、そこから動くことは難しいだろう。

 もしも、逆に、安全な場所へ移動しようとして亡くなることもあるかもしれない。

 どっちも命を守ろうとした行動なのでは、と。

 

 そういうものなんだと思う。後から見ればあんな危険な場所で…… って思えるけど、どこでどんなことが起こるかなんて、わからない。ゴルフ場のネットが倒れるなんて想像もしない。

 

 何が起こるかわからないのに、対策なんてしようがないよね。

 どれに対しても満遍なく強く、なんて無理。

 一見強くなさそうな方法で生き残ることって生物学では結構あるみたい。それって、自分で選んだ物っていうよりは、偶発的なものなんだと思うの。

 初めて空飛んだヤツも、「生きよう」と思っただけで、ずっと空飛び続けることになるとか、子孫もほかの奴らも空飛ぶ一生になるなんて思わなかったのでは、と。

 

 「生きない方が良いのでは」って考えちゃうのが一番危険なんだと思うの。

 「私、こんな状況じゃ生きていけないよー」って思うのはともかく、「弱い奴なんて生きているべきでない、それがみんなのためだ」と思うのは、お前は何様なのだと。何をわかったつもりになっているのだと。 ありとあらゆる可能性を考えた上で言っているのかと。

 

 誰が、生き残るための鍵を持ってるかわからない。今、誰も持ってないけど、組み合わせて生まれることもあるかもしれない。

 

 どうせ、死ぬ時は死ぬんだもの。わざわざ殺さなくたって。まだ生きてるだけで、まだ絶滅してないだけ。人間は暑くても死ぬし、寒くても死ぬ。

 その日その時はいつどんな風に訪れるかは誰にもわからんよ。

 わかんないから怖いんだし。

 その恐怖はもちろんわかるけど、弱い奴のせいにしたいだけなら、「だれかのせいにしたい」自分の意思が弱いせいにしとこ。

 

 ちょっとしんみりとしてしまった。

 「彼女からの手紙を勝手に処分した毒親」の話。

 それ自体は、いろんな罵倒の言葉を連ねて、なんてひどい親なんだ! と思えてしまう。鴻上尚史さんの回答も素晴らしくて、ブッコメ見て、読む人読む人でいろんな色に変わるのもまた面白かった。

 

 まあそれはいいんだけど。

 そうなってしまった母親のことを考えたらちょっと、罵倒する言葉がなくなってしまった。

 どうして毒親って呼ばれる人が多いんだろうなって。不思議じゃない? 他人には異常な行動のように思えるのに、自分ではやっちゃうって。それって、きっと「それが正しいのだ」と思わせる要因があるんだと思うの。

 例えば、過去に、それが正しいと感じるほど「子どもの問題はあなたの問題よ!」って言われてきたのだとしたら。「あなたがちゃんとしないと」って言われ続けてきたのだとしたら。

 現にそうじゃない?

 ずんずんぎーなんてすごかったじゃん。1歳なら躾でなんとかできます! みたいなやつ。もちろん、あの人の場合は、またちょっと違う問題もあって……それはそれで今回は脇に置かせてもらって、またいつか書くことにして……。

 

 子どもに何かあればすぐに母親の問題が出てくる。あれは、小さい頃の話で…… って言いたくなるけど、それって何歳まで? どこまでが親の責任?

 子どもの頃のルールって、ずっと不思議なんだけど、こっそりと制限がなくなっていく。ずっとダメダメ言われていたことが、何も言われずに許可されてた、って感じたの。きっとまだダメなんだと思い続けていること、実はたくさんある気がする。もう大人だから、自分の責任で自分で決めていいのにね。

 

 それって子供側だけじゃなくて、親の側もそうなのだとしたら。

 もしかすると、かの手紙捨て女は「子どもの責任は子どもが結婚するまで」が自分の責任下にあると思っているのかもしれない。その先の「孫の顔みるまで」「死ぬまでずっと」かもしれないけど、少なくとも子の結婚が自分の責任問題だと感じているのは確かだろう。

 

 そんな風に「マトモな人生を送らせる」というのが、母親の役目になっているみたいに感じる。

 でも”マトモな人生”って何よ、と。

 その指針にしてるのが、頭いいっていわれる学校に入ったり、たくさんお金もらえる所に就職できたり、良い相手と結婚できたり、賢い子ども産んだり…… ということなのではないだろうか。

 頭いいから頭いい学校に入る、は、まだわかる。大学とかは何となく偏差値で決まってしまうイメージがある。そして、学生時代にきちんと勉強していたことがマトモであるならば、頭いい大学に入るのはマトモと言え……なくもない。

 でもそれ以降は別に正しくない。たくさんお金がもらえた方が、もらえないよりは良いのは確かだけど、それで心身を害したり、悪いことしちゃったりするのは、それってマトモ? って思う。

 良い相手と結婚できたり、賢い子ども産んだりも、もーそれ、運の世界だし。

 きっと、もう、親の責任はほとんど関係ないかもしれない。少なくとも、親が努力して、良い相手と結婚できる! とか 賢い子ども産める! とかは、ちょっと心配になってしまうレベルだ……。

 

 でももし、そのゴールに向かって走ってたのだとしたら……。

 

 過去のやっちったことを責められることほどつらいこともないよな……。

 きっと手紙捨て女は、その時は、手紙捨てるのがベストだと思っていたのだろう。ほら、あるじゃん。子どもの交友関係をコントロールする話。「あの子と遊んじゃダメ」とまでいわなくても、「悪い子と遊ばないように、私立に行かせます」みたいなことが、子育ての世界だと常識のように語られる。

 その延長線上にあるなら子どもの恋人との関係だって…… と彼女は思ったのかもしれない。

 それが若さへの嫉妬だったり自分が自由に生きられない鬱憤だったり、様々な自分の中の負の感情でマシマシで背中押されてしまったのかもしれない。

 

 ってことを考えるとさ。もうちょっと母親も自分のために生きられればいいのになって思うの。20代30代40代なんてすごく良い年齢じゃん。だからこそ、家事に子育て、仕事も! なんてハードなこともできちゃうんだろうけど。

 時々、お前が子どもか! と思うような批判もあるじゃない。母親なのに飲み会いくなんて とか もうお母さんなのにおしゃれがどうこうとか。その間面倒見る人いるならよくない? 子どもいない時なら別によくない?

 そんなん無視しろ っていうのは簡単だけど、言われた方ってすっごくすっごく苦しいだろうな。そして、苦しみはなかなか消えない。それで、誰かの言う”子どものために”ちょっと我慢して、自分も”子どものため”を信じ始めてしまって、そういう理不尽さが、ちょっとずつ積み重なっていく。

 

 その結果が毒親だと、つらいよな……と。受け入れられないだろうな、と。

 

 鴻上さんの回答でよく出てくるフレーズで「自分の人生を楽しみましょう」っていうの私好きなんだ……。

 

 手紙捨て女はきっと、後悔もしていると思うの。

 でも過去にやっちまったもんはもうどうしようもない。何をしても、何か言っても、手紙も戻ってこないし、彼女も返ってこない。息子のつらさも不信感もなくなるわけじゃない。

 それをわかってるから正当化したいんだろうなと。「正しかったよ」って言って欲しかったのだろうなと。あるいは、どうにか、断ち切りたかったんだろうなと……

 ずっと一人で考え続けていても、或いは、ネットでめっちゃ炎上して叩かれても、心からの自分の言葉で「あの時はごめん」にはきっとたどり着けないんだと思う。

 

 それよりも鴻上さんの言うとおり、自分の人生を生きて、いっぱいいろんな立場になって、色んな想いをして、その時にふと「あっ あの時の自分、すごくダメだった」って思う日がくるかも知れない。それを受け入れられる準備ができるかもしれない。

 あるよね、たまに。あー あの時の人、きっとこう思ったかもしれない、って自分の番になって思うことって。

 気がつかないところで、意外と自分も他人の尻尾踏みまくってる気がするの。

 こうしてる今も……。

 そっかぁ 今日までだったかぁ……

 もう今9月30日の23時56分。ツイッターのトレンドワードに錦戸亮くんがあがってて思い出す。

 SMAP解散以降、ジャニーズは色々あって、本当に色々あった…… 個人個人は好き、でも、なんだかもやもやしてて、ついつい複雑な思いで嵐とか関ジャニとかTOKIOとかを見てしまう。

 それでも城島リーダーの結婚はおめでとう と…… 素直な気持ちでよかったなって思いたかったな。

 いやいや、リーダーには全然関係ないの。増税とかもう気持ちがしょんぼりしててそこで、結婚の話題もなんかどっか飛んでっちゃってる。嬉しいよ、喜ばしいよ、でも10%かぁ……どんより…… という……。リーダー本当ごめん。菊池さんもごめんね。そして、おめでとう。お体大事に、いつまでも、末永くお幸せに……。

 

 って違う違う、亮くんの話だった。

 関ジャニって実はあんまり知らないの。村上くんが月曜から夜更かしに出てて、横がべえさん(鶴瓶師匠)ときらきらアフロを、オセロの松嶋さんの代理でやってたことくらい。あとは、大倉くんがイケメン。昴くんは、NACK5(埼玉のFMラジオ)ですばラジやっててくれて、その宣伝が毎回ウザ面白くて、でも最終回の時は、ちょっと泣いた……。あと、ぬーべーの子と、最近健康面で不遇な子。んー、顔は出てるの。待って待って名前思い出す。がんばってwikipeらないで思い出す。わかった、一人は安田くん! 不遇な子だね。あとは、マルだ……。丸山くんだね。

 関ジャニは、「応答セヨ」が一番好きなの。一人で歌おうとすると、感動してる暇なんてなくって何これめっちゃキツっ!? って思うけど、良い曲だよね……。

 きっと、グループから抜ける決断する方も、見送る方もきっと並々ならぬ思いがあるのだろうなと思う。

 嵐みたいに一旦時間を置くのも、NEWSみたいに残ったメンバーで続ける決断するのも、難しいね。全然違う話だけど、氣志團がフェスでジャニーズメドレーで、「チャンカパーナ」選んだの、すごく良かったなと思ったの。あれ、4人体制になって、方向決めた時の曲だったから……。山Pと亮くんが脱退だったもんねえ……。でも、NEWSはその後のNEWSの方が本当に好き。それぞれがそれぞれの色を出していってて、あの姿は本当にすごかった……。色々あったけど、個人的には応援したいグループなの。

 以上のことからわかるとおり、亮くんについて語るのはすごく難しい……。

 ものすごく率直に言えば、応援しにくい要素を持つ子なの。熱を感じにくい、クールなキャラ。ちょっと、孤島の存在に見えていた。

 全くの私念だけど、有閑倶楽部ドラマで原作の世界観をぶち壊しやがって! って思ったけどよく見たら、魅録は赤西で、清四郎は横で、美童は入口出口田口くんだった、ごめん、ちょーごめん。

 それでも、亮くんもよい未来が待ってるといいなと思う。

 最近気が付けばいつのまにか「新しい地図」を受け入れはじめている。新しい地図でこそ、ゴローちゃんのいらちが見えたり、新しい地図でこそ、つよぽんのはっぴょうかいが見られて、新しい地図でこそ、しんごちゃんの光と影がみえるのだなと。

 アイドル? 歌手? ダンサー? 俳優? そういう特定のジャンルじゃなく、彼らそれぞれの道を歩んでいる。

 彼らにしか歌えない歌を歌い、彼らにしかできない踊りを踊り、彼らにしかできない演技をして、彼らにしかできない道を歩んでいる。きっときっと、もっと上手い人は世界中を探さなくてもきっといるのだろう。それでも彼らを見たいと私は思う。見続けて、応援し続けたいと思うのだ。

 これこそが、「新しい地図」なのだと。

 その中にきっと、中居さんもいて、その中にきっと、有名人から楽曲を提供されてソロアルバム出す木村さんもいて、もしかすると、その中にきっと、ジャニーズや、ジャニーズから卒業した人たちもいるのだろう。

 こういう未来もあるんだと。

 見方によっては、レギュラー番組なくなっちゃって、音楽番組に出ることもなくなった。

 だけども、彼らは、それぞれのやりたいことを制限されているわけじゃない。演技もやってるし、音楽も、バラエティも、ライブだって、やっている、ただ場所を変えただけ。

 そういう絵を見せてくれた。

 亮くんもきっとそういう未来を歩ける。”誰もが新しい道を行ける”んだと思う。

 

 でもやっぱりSMAP5人が揃った絵を、いつかあの日のことを語っている姿を、72時間のあの時、森くんと再開したときのように、叶うことならば、見てみたい、という夢はどこかにあるけれど…… 

 

 今は新しい関ジャニと亮くんと城島リーダーとTOKIOSMAPとあとあと夢を見させてくれる色々たくさんに、幸あれと。

 それから、彼らを見出して、世に送り出してくださった、ジャニー喜多川氏に心よりご冥福をお祈り申し上げます……。

 

 あーこれ、酔った勢いで公開したけど、絶対明日後悔するやつー……

クソリプの話

 自分は結構的外れなコメをしがちだと思う。自覚してるなら直せよって話だけどまあ聞いて欲しい。

 自分がOBする一番大きい理由は「書きたいことを先行しすぎる」ところにあると思う。

 読むじゃん、思うじゃん、考えるじゃん、コメ書くじゃん。

 考える時間が長すぎると、どんどん方向がズレていくみたい……。

 

 特に、笑おうとしたり、怒ろうとしたり、感情的になるとズレていく感じがある……。

 例えば、「コイツすっげえ変www」みたいに晒し上げされたものは、もしも変じゃなくても変なところを見つけ出そうとしてしまう。

 「ひどい目に遭いました!」「つらい思いしました……」みたいのも状況を精査せずに感情移入しがちになる。

 この辺ははてなでとても鍛えられた。

 最近では、感情的なものを読む時は、ちょっと警戒する癖がついている。

 

 で、「それひどすぎる!!!」とか「つらかったね……」と並ぶコメの中で、別な方向から意見を書くとそれだけでも変な風に見えてしまう。

 それは、言われる立場になるともっとダメージが大きいのかもしれない。

 「ほんとに?」みたいなコメでも、「疑われた!」って思ってしまうこともある。そのコメの意図は、”疑問視”ではなくて、”現実とは思えない程ひどいことだね という共感”だったとしても。

 それで、最近は、増田のブッコメでもなるべく共感を書くようにしている。特に追い詰められてそうな物には。

 逆に、「もっとこうすれば!」とか「ここを直せば!」系を書かないように気を付けている。一つ一つはありがたい言葉でも、大量に集まると、苦しい……。

 そう思いながら忘れちゃうことも多いんだけど……。

 

 白熊先生のはてブだと少なくてもクソコメが多くて、Twitterだと1000超えてから~ の話は、きっと、何を辿ってきたかってことなのかもと。

 はてブは、10userくらいでいろんな人の目に入る気がする。もしも、だれかのブッコメを辿ってきてるとしたら、既に色のついた状態で読むことになる。

 そのブッコメが「こいつ変」だったらどこが変かを探しながら読むことになるだろう。

 

 Twitterの場合、みんなに注目されてます! って人がわざわざ拡散しにやってくるのが1000リツイートくらいなのかなと。

 Twitterの場合だと、連投してる1つに過激な言葉が入ってて、それだけ注目されることもあるのがちょっと困ったところだよね……。全部読めよ、と投稿者は思う。

 でも、読み手は、全部読みに来た訳じゃない。「これ面白い」なら面白いを求めて、「これ変」なら変な人を求めてやってくる。

 つまり、自分の感情を満たしにやってくるのだ。わざわざ否定材料を自ら探さない。

 

 自分はなるべくクソリプはしたくないと思っている。一回プギャーwした物が実は誤読してただけっていうのは、ものすごく恥ずかしいことだと思っている。

 「あ、あんたの書き方が悪いからぁぁぁ」って想いたくなるけど、自分何様だよ、と思うようなコメントして悦に浸ろうとした自分が完全に悪い。

 もう過去に何度も同じようなことをしてきた……。

 

 こういうことするな と自分で思うのは簡単だけど、みんなが完全に実行するのは難しいよね……。

 せめて、違う考え方や一見的外れであっても「あー そう考えるのねー」と思う余裕は持っておきたいなと……。

書きました

 自分はあんまり「書きました」することはないけど……

 一応フォローすると、難しい内容の時で、ブコメの100字で収まりそうにない時に、ブログ書いてみたりするのかなって思いました。

 意外とブログ書くのも面倒くさい…… 「書きました」の人すごい。

 盲信するということは悪い面を見なくすることで、叩きたくなるということは、良い面を見なくすること。

 

 なのだろうなぁと最近気がつきはじめている。きっと裏表なんだろうなと。

 

 そんなことない、ちゃんと悪い面も知ってる、良い面も知ってる、って思いながら「~ってことあるってことは知ってるけど」って言うんだけど、本当は、わかってはいない。それどころか、受け入れることを拒否すらしているんだと思う。

 

 そもそも、対象を好きになってるわけでも、対象を嫌いになっているわけでもない。

 その向こう側にある価値観とか象徴するものを、好きになっていたり、嫌いになっていたりするんだと思うの。

 

 と思ったのは、週刊誌による、新しい地図VSマツコデラックスの構図に踊らされかけた時だったんだよな……。

 脊髄反射的に、自分の中で、マツコデラックスに対するヘイトが高まったんだけど、あれは非常に良くなかった。本当に良くなかった。

 そもそもSMAPが解散した一因も、元々は、そういった盲信と叩きたいものの構図だったのではなかったか。派閥問題という真偽の怪しい問題を繰り返し繰り返し執拗に煽り続けた結果じゃなかっただろうか。直接の理由は別なものだったとしても。

 

 信じている心ってのは本当に操られやすいと実感したよね……。

 本当に駄目だね……。そもそも、自分が応援して信じてきているものにも、迷惑をかけてしまうところだった。

 一歩手前で、コメントもなにもしなかったけど、その時、もし、何かしていたら、今は、私はきっと、その時の行動をした自分を守りたいがためだけに、その補強していってしまったんだろうなと思ってる。その材料を集めたくなっちゃってたんだろうなと。

 いかに、マツコが許されざる人物であるか、と。

 例えば、今のN党VSマツコデラックスの構図でN党側の考えを盲目的に支持してしまったり、とかね。

 

 どうしても、その向こうに、自分が対立する正義にも、信じてる人がいたり、応援しようとする人がいたり、それに対する敬意を忘れてしまう。

 信じてるものを貶されたらやっぱり悲しい、お互いに。

 あと、自分が選んだ言動が間違っていたと認めたくはない、あんまり。

 個人的には、自分の現実に見たくない物が増えた時は、盲信や叩きたくなる傾向にある気がする。

 せめて、せめて、好きなもののことは、好きな要素だけで心を満たして生きていきたい……。

 本当は、幸せな事柄だけで人生を満たせれれば、いいのにね。

 一種の宗教なのですよ。丁寧な暮らしとかは……。

 こういう界隈の人たちは、ゆっくり丁寧に、とか、自然に優しい、とか、天然由来の成分の とかに惹かれる。

 で、時代を逆行しちゃう。

 ログハウスに住んで、薪ストーブにして、ホウキとチリトリ雑巾で掃除して、洗濯板使って手作り洗剤で手洗いし、玄米ご飯を鍋炊き、国産有機野菜の料理食う。

 別に、勝手に1人で昔にもどってりゃーいいんだけど、問題なのは、それ他人にも押し付けてくんだよね。ナンチャラ使うの良くないですとか、こうするべきです、みたいのを。

 そして、そこに商売しちゃう人が絡んできて、マルチみたいのになって、カルト集団みたいになってったりしていく。

 

 きっと、丁寧な暮らし教に入っちゃう理由って、その根底にある ”生きていく上での罪悪感” とかなんじゃないかなぁと思ってる。自然破壊とか絶滅危惧みたいなヤツ。

 よくニュースでもやんじゃん。そして、「我々も考えなければなりませんね(キリッ」とか言うじゃん。で、自分になんとかできないかって思って、身近なことに置き換えると、そういう丁寧な暮らし になるんだと思う。

 実際に貢献できてるかどうかは別として。

 

 でも、どれが本当に有効な方法なのかの線引きがものすごく難しい。例えば、「下水に油流さない」とかは正しいと思うけど、そこに「お魚さんの口に入っちゃうから」とか付くと途端に怪しい雰囲気になるよね。水道屋とかのイラストで、お魚さんが(×ヘ×)してたりすっからだよ!

 それならまだ、「下水詰まって掃除大変だから」って言ってくれた方がまだいい。

 

 

 その人たちにとっては、それが、正しいか正しくないかは、あんまり問題じゃなくて、レンジ使っても人体に影響ないです、とか、ナンチャラ食べても問題ないです、っていうのはその人たちにはあんまりわかってもらえない。

 逆に、「絶対ナントカするな!」ってタイトルで内容は、そういうのって問題だと思う気がする……っていう方を信じちゃう。

 

 だから、もう、あなたの宗教ではそうなのね、って思うしかないなって。

 まあ、オレの宗教も傍から見れば邪教なんだろうけどさー。